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東大生だけが知っている! 超短期勉強術 CHAPTER 5 事例研究 意志を貫き通して東大合格

逆転合格の大きな原動力となるのは、強い精神力といつも前向きにものごとを考える姿勢だ。一度や二度の失敗にめげているようでは、目標達成はおぼつかない。ここでは、挫折を乗り越え、七転び八起きの精神で難関突破を果たした東大生たちの事例を紹介する。8浪を経ての合格、仮面浪人からの逆転、そして本番で実力を最大限に発揮した3人の姿から、目標に向かってひたむきに走る姿勢の重要性が浮かび上がる。

この章の目次

A.Mさん:8浪しても恥じることはない

埼玉県の県立川越高校に通っていたA.Mさんは、中学時代は優等生だったが、高校入学後は茶髪にピアスの劣等生として最下位グループに低迷。高2の秋、パトカー追突事件をきっかけに人生観が変わり、東大をめざすことを決意する。しかし独学の弊害もあり、8年間の長い浪人生活を経験。それでも「自分で決めた人生をちゃんと生きられるかどうか」という問題として受験に向き合い続け、ついに合格を勝ち取った。浪人は決して恥じることではなく、人間形成の上で大きな財産になると語る。

不良グループとの決別が転機に

中学時代は塾に通い成績もつねに10番以内をキープする優等生だったA.Mさん。しかし中3の後半から「紙切れ一枚で評価される自分って何なんだろう」という疑問を持ち始める。不良グループの影響もあり、自分の生き方を貫いている彼らがカッコよく見えた。内申の良さもあって川越高校には合格したが、高校入学後は勉強への意欲を完全に失う。最初の中間テストは400人中下から2番目。授業中はいつも寝ており、高2の途中まではだいたい最下位だった。中学の不良グループと行動を共にするようになり、高2の秋、パトカー追突事件を起こしてしまう。この事件が彼の人生観を変えた。「このままじゃダメだ。もっとみんなに認めてもらえることをしないと」と考え、日本一を目指して努力を積み重ねる生き方を選択する。

独学の弊害と8年間の浪人生活

高2の12月に東大宣言をしたA.Mさんだが、一日3時間睡眠で猛勉強するも、勉強法を知らず独学の弊害が大きかった。余弦定理を定理と知らずに1週間考え込むなど、基礎的な知識の欠如が目立つ。現役時代はセンター試験で足切り、1浪でもセンター足切り、2浪でようやく二次試験を受けられるようになった。3浪以降は周囲から孤立し、引きこもりに近い状態で勉強を続けた。6浪目は東大文Ⅰの定員が544人から373人に大幅削減された年で、試験はできたのに不合格。それでもやめようとは思わなかった。「合否だけの問題ではなく、自分が決めた人生をちゃんと生きられるかどうかの問題」になっていたからだ。

自分で決めた道を貫く精神力

8年間ほぼ同じ勉強法を続け、ネットや受験本で調べるでもなく、友だちや先生から情報を集めるでもなく、思い返すと無駄の多い浪人生活だった。しかし原動力となったのは「自分で決めたことを自分の責任でやっている」という実感だ。正しいかどうかはわからないけれど、8年目に受からなかったらまた続けたと思う。浪人は決して恥じることではない。浪人を重ねてきた中で蓄積された思いは、人間形成の上で大きな財産になる。浪人を続けるべきかどうか悩んでいる人がいたら、それが自分の人生を生きている実感を持てることかどうか、自分の胸に聞いてみることが大切だ。

O.Wさん:バイト三昧で気がつけば偏差値11

東京下町のそば店の息子として育ったO.Wさんは、都立両国高校で部活5つとバイトに明け暮れる毎日を送っていた。高3で獣医をめざすことを決めたものの、模試の偏差値は11という衝撃的な数字。先生からは「君、大学に行くつもりだったの?」と痛烈な言葉を浴びせられる。しかし復習重視の勉強法で着実に実力をつけ、1浪後に私立大学に入学。そこから親にも友人にも内緒で仮面浪人を決意し、「1000万円浮く」という現実的な目標を掲げて後期試験に的を絞った戦略で東大合格を果たした。

部活5つとバイトに明け暮れた高校時代

東京都墨田区で家業がそば店という環境で育ったO.Wさんは、小さい頃はごく普通の小学生だった。都立両国高校に入学後、部活を5つと生徒会をかけ持ち。体操部、軽音部、剣道部、料理部、生物部、それから生徒会副会長も務めた。16歳の誕生日を迎えるとすぐにバイクの免許を取得し、バイクを買うためにピザ店のデリバリーのバイトを始める。高2の半ば頃はほぼ毎日4時間働き、月10万円以上を稼いでいた。夜型生活で学校は遅刻、授業中は寝ているか教室を抜け出すかで、成績は最下位グループに突入。高3で獣医を目指すことを決めたが、先生から「君、大学に行くつもりだったの?」「だいたい、頭の悪いやつに限って獣医になりたいとか言うんだよね」と強烈な一言を浴びせられた。

偏差値11からの復習重視の勉強法

高3になって最初に受けた模試の偏差値は11。それでも「勉強をやってなかったから当然。勉強のやり方を覚えればきっと成績は伸びる」と信じていた。予備校のカリキュラムに従い、復習重視の勉強法で着実に実力をつけた。予備校の授業で習ったこと、とくに先生が重要だと言ったポイントは日にちをおいてからもう一度復習し、しっかり定着させるよう心がけた。偏差値は40台から50台、60台前半へと上昇したが、本番のセンター試験で失敗し、農工大は不合格に終わった。1浪時代の夏頃には東大を意識し始め、駿台予備校のAクラスの上位3分の1くらいの成績が取れるようになってきた。

仮面浪人から後期試験で逆転合格

1浪後も農工大に不合格だったO.Wさんは、私立の麻布大に入学。しかし「1年がんばって国立大に入れば1000万円浮く。これは宝くじ当選に匹敵する」と考え、親にも友人にも内緒で仮面浪人を決意。時間がないため科目の少ない後期試験に的を絞り、論述対策に集中した。赤本で過去問を徹底研究し、1科目2時間半という長時間で記述量が多いという特徴を掴む。「記憶力というよりは、与えられた情報を整理してアウトプットしていく力が問われる」と理解し、記述の練習用の問題集を買ってひたすら論述の対策に打ち込んだ。点数配分も研究して「英語は苦手だから、生物、化学の論述でこのくらいの点数を狙おう」などと分析しながら勉強した結果、後期試験で東大合格を果たした。親に「実は東大を受験していて、受かった」と報告すると、びっくり仰天しながらも大喜びで、親子で再び掲示板を見に行って喜びを分かち合った。

I.Mさん:模試が悪くてもあきらめない

教育ママの母に育てられ、習い事が週9つに及んだこともあるI.Mさん。筑波大附属中学に入学したが、その反動で中学時代は英語で実質学年ビリの成績を取るまでに。高校時代も家で一人では勉強できず、電車の中や予備校のホールで友だちといっしょに勉強するスタイルを貫いた。高3のときの東大模試はいつもE判定だったが、「自分には運がある」と信じて東大一本に絞る。浪人中も英会話教室に通い、リスニングと英作文に特化。本番で120%のパフォーマンスを発揮するための工夫を重ね、見事合格を果たした。

箱入り娘から普通の女の子へ

小学生時代はテレビをほとんど見ておらず、有名な芸能人の名さえ知らなかった。「ねえ、キ・ム・タ・クって誰?」と友だちに聞いて驚かれたこともある。小3から中学受験のための進学塾に通い、さらに体操教室、スイミング、バイオリン、ピアノ、バレエ、リトミック、絵画と、習い事が週9つに及んだこともある。しかしそんな母の教育ママぶりも、中学生になるとずいぶんと和らいだ。するとI.Mさんは、それまで禁じられていた反動で漫画を買いあさって読みまくり、レンタルショップでドラマを借りまくり、CDも借りまくってJポップなどを夢中になって聞くようになった。成績のほうはズルズルッとダウン。中学は第一志望の筑波大附属中学に入れたものの、高校へ上がる前にはすっかりミーハーな普通の女の子になっていた。

電車の中と予備校のホールで勉強

家で一人で勉強する気になれないI.Mさんは、通学時間を長引かせる工夫をして電車の中で勉強することにした。国分寺から高尾行きの電車に乗り、高尾発の電車で折り返し戻るという方法で、約1時間座ったまま勉強できる環境を作った。電車の中は適度な雑音があり、人目があるためやる気もわく。膝の上に問題集、その上にノートを拡げ、器用に勉強した。浪人中も、駿台予備校のホールで同じ高校の仲間といっしょに勉強するか、電車の中で勉強するかのどちらかだった。朝9時頃から夜10時まで予備校のホールにいたが、友だちとしゃべったり落書きしたり、途中で抜けてマンガ喫茶に行くこともあった。

E判定でも東大一本やりと英会話教室

高3のときに受けた東大模試の判定はいつもE判定。それでも志望校は変えず、東大一本しか受けなかった。「自分には運があるんじゃないか」と何となく思っていた。過去に財布を3回なくしたときに3回とも無事にもどってきたことがあり、超がつくほど運がいいから「ひょっとしたら、受かるかも?」と脳天気に考えていた。浪人中は英会話教室に通っていた。東大の二次の英語はリスニングと英作文だけで120点中60点を占めるため、「リスニングと英作文の実力を徹底的につけよう」と考えた。英作文対策としては英語で日記を書き、英会話教室の先生に見てもらって文法的に変なところを直してもらった。

本番で120%の実力を発揮する工夫

浪人時代も東大模試の判定はD判定とC判定を行ったり来たりだったが、「何とかなるでしょ!」と何事もポジティブに考えるのがI.Mさんの性格。どこに行っても緊張しないヘンな図太さがあり、それが大きな強みだった。2度目の東大入試では、受験会場のピリピリした雰囲気がイヤなので、リラックスして力を出せるように答案用紙が配られる直前までiPodで音楽を聴いていた。二次試験の直前1週間は毎日マンガ喫茶に通い、2時間ほどマンガを読んでリラックスしていた。この年のセンター試験の正解率は85〜90%だったが、こんな高得点、実はそれまで一度も取ったことがない。普段の成績が良くても本番で60%しか実力を出せない人もいれば、もともと成績が悪くても普段の実力の120%を本番で出せる人もいる。受験で勝つために後者になることを目標にした結果だ。

まとめ

この章で紹介した3つの事例に共通するのは、強い意志と前向きな姿勢である。8浪を経ても「自分で決めた人生をちゃんと生きられるかどうか」という問題として受験に向き合い続けたA.Mさん、偏差値11から出発し仮面浪人という困難な状況でも戦略的に後期試験に的を絞って1000万円の価値を勝ち取ったO.Wさん、E判定でも「自分には運がある」と信じて本番で120%のパフォーマンスを発揮したI.Mさん。いずれも一度や二度の失敗にめげず、自分なりの方法で目標達成を果たした。子どもが逆境に立たされたとき、保護者は結果だけでなく目標に向かう姿勢そのものを評価し、長期的な視点で支え続けることが重要だ。また、それぞれに合った勉強法や環境を見つけることも成功への鍵となる。

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