中学受験を9割成功に導く「母親力」 第5章 母親力は「基本調味料」、父親力は「スパイス」

第5章では、繁田氏の両親が登場し、「繁田和貴」という人間をいかにして育てたかについて、フリートーク形式で語られる。取材慣れしていない両親が、緊張をほぐしながら本音を語る貴重な対談だ。幼少時代のアメリカ生活での苦労、帰国後のSAPIXでの成功、母親が伴走者として関わった中学受験、ゴロ合わせや「シメバツチェック」を活用した復習管理、父親の間接的なサポート、賭博事件のショック、東大受験の浪人時代、そして今の塾講師としての仕事まで、親の視点から振り返る。母親は「基本調味料」として日々の学習管理と健康管理を担い、父親は「スパイス」として子どもと母親の不安を受け止め、ここぞという場面で助言する。受験で子どもを守る母親力の本質は、実にシンプルで「愛情」と「信頼」に尽きる。家族が同じ方向を見ることができたなら、受験の結果に関わらず、大きな「財産」が残るのだ。
この章の目次
アメリカ生活で鍛えられたメンタル
好奇心旺盛で社交的な幼少時代
繁田母によると、息子は好奇心が旺盛な子で、成長するにつれミニカーとか国旗とか、いろいろなことに興味を持ち始めた。好きなことは覚えるのも早く、国旗なんかは、3歳ごろには全部言えるくらいになっていた。繁田父は、とても社交的な性格で、エレベーターの中でいろいろな人に話しかけるようなおしゃべりな子だったと振り返る。おしゃべりは父親譲りかもしれないという。一家でアメリカへ行ったのは、繁田氏がちょうど幼稚園の卒園1か月前だった。父親は環境に慣れないうちに家族を呼んでも落ち着かないということで、先に渡米していた。せっかくの機会だからと、日本人学校は土曜日だけにして、平日は現地校に通わせた。ただし、向こうの学校は新学期が9月からなので、いきなり小1の2学期に放り込まれてしまった。もちろん、英語も全然話せず、しばらくはかなり苦労したと思われる。
言葉が通じないストレスとサマーキャンプでの成長
繁田氏はすごく人懐っこい性格で、人見知りもしない子だったが、やはり言葉が通じないというのは相当なストレスだったのだろう。授業中、何度もトイレへ行きたがるようになってしまった。最初はどこかからだが悪いのかと心配で、お医者さんに診てもらったところ、「原因はメンタル的な部分でしょう」といわれたという。ところが、翌年の5月の夏休みに1か月ほど参加したサマーキャンプで、仲間と野山を駆け回って遊んでいるうち、何でも遠慮なく言えるようになり、英語力が一気にアップした。やっとアメリカ生活に慣れたのかもしれない。トイレの症状もなくなった。2年生になると、親友もでき、日常のコミュニケーションは不自由しなくなった。
帰国後の習慣の違いと受験への道
小学3年のとき帰国したが、受験どころか、日本の小学校へ行くのが初めてなので、まずは日本の習慣になじむのが先決だった。「起立、礼」とか、「前へならえ」といったことは習っていないので、しばらくは習慣のちがいに戸惑っているようだった。ただ、幼稚園時代の友達が同じ学校にいたのはラッキーだった。繁田母自身は中学受験などとは無縁で、本当に受験には興味がなく、知り合いの子が塾(TAP)に通っていて、「行ってみたら」と誘われたのがきっかけだった。通い始めたら成績がよかったので、TAPから独立して新しい塾(SAPIX)ができたとき、入室試験を受けさせてみた。そうしたらたまたま総合成績1位に。そこからは、主人の出身校である開成を意識したのも自然な流れだったという。
母が伴走者になった中学受験
復習管理とまちがえた問題の確認作業
繁田母がどのような形で息子の勉強に関わったのか。とにかく復習だけはしっかりやらせていた。母親がやっていたのはその管理だけ。これは塾に通い始めてから受験まで続けた。算数は母親では教えられないので父親に見てもらった。忙しいにもかかわらず、父親はすぐ対応してくれた。繁田氏によると、ゴロ合わせ的なヒントもよく出してくれたという。たとえば、八代平野の八代亜紀とか。小学生が八代亜紀なんか知らないと思っていたが、母親は覚えていないという(笑)。母親はまちがえた問題の管理はしっかりやってくれた。それと勉強の進み具合の管理も。塾には週3~4日通っていたが、塾の前日は主にまちがえた問題の確認作業。「シメバツチェック」で「/」がついた問題たちを中心とした確認作業を、クイズ形式も交えながら行った。宿題は塾のある日の翌日か翌々日にやっていた。母親が関わってくれたおかげで、なんとか宿題もやれていたように思うと繁田氏は振り返る。分からない状態で塾へやると、分からないことが膨れてしまう。復習をしっかりやっていたのは、そうならないためだった。
父親の視点と塾の環境
父親の目に、息子の中学受験はどう映っていたのか。父親は相変わらず帰りが遅かったから、中学受験はすべて妻のおかげだと感謝している。ただ、遅い時間に帰宅すると、まだふたりで読み合わせとかやっているのを見て、小学生がここまでやらなきゃいけないのかとは思ったという。SAPIXは小さな塾でスタートしたが、1期生ということもあってか、成績がよかった息子を先生がすごくかわいがってくれた。お調子者タイプだから、ほめられるとうれしいに決まっているし、やる気にもなる。友達もすぐできて、楽しく勉強していたと思うという。あと、当時わが家には父親の開成時代の友人がよく訪ねてきて、息子に「おい、おまえも開成に来いよ!」といってくれたのも励みになったのではないか。TVゲームについては、やることをやったらゲームもOKみたいな感じだったが、時間は決めていた。この子はセルフコントロールができないからだという(笑)。繁田氏によると、時間をすぎたら「もうやめなさい」と怒られたが、多少のオーバーは許してもらえた気がする。だから勉強も頑張れた部分があったのではないか。どんな子も、親に譲歩してもらったら、その分頑張らなくちゃと思うはずだという。
子どもを中心に考えた生活
母親の献身的なサポートとストレス
家事をしながらのサポートは苦労も多かった。それはもう大変だったという。ただ、子ども中心の生活にする覚悟はできていた。子どもがこれだけ頑張っているのだから、私も絶対にいい加減なことはできないと。母親は生真面目な性格ということもあって、たとえ自分の時間は犠牲にしても、最後まで徹底的に協力してあげようと思った。でも、そういう生活が続くと、拘束されたような気持ちになり、ときどき愚痴りたくもなる。「もうイヤだ!」とストレスが限界に達したときは、主人が聞き役になってくれたので救われた。主人の場合、算数は教えてくれたが、それ以外では受験勉強に直接関わったわけではなく、スタンスとしては子どものために間接的にでも自分がやれることはやろうという感じだったという。
父親の「父親力」の発揮
父親は、以前はゴルフばかりといった生活だったが、土日くらいは家族サービスというか、なるべく子どもと遊んであげようと思うようになった。散歩とか、キャッチボールとか、けっこうコミュニケーションはとれていたのではないかという。また、残業続きで一緒に夕食はとれなかったから、どんなに疲れていようと、せめて朝食だけは必ず一緒にとる、これは自分のなかで決めていたルールだった。ダラダラ食べている子どもに気長に付き合う。たいした話はできなくても、何もコミュニケーションがないよりはマシだと思うという。母親によると、主人は優しい人で、限られた時間のなかで本当によく面倒を見てくれた。だから、夫婦ゲンカはほとんどしたことがない。受験期において、夫婦仲よくというのも、非常に大事なことだと思うという。父親は、陰ではけっこう(夫婦ゲンカを)してるんですけどねと笑うが、子どもは敏感で、親の様子がおかしいのは分かるものだから、子どもの前では絶対にケンカはしないでおこうと、そこは妻との決め事にしていた。
父親の大病と家族の絆
小6の頃には、土曜も塾へ行くようになっていたが、父親はよくお迎えに行ってくれた。仕事が忙しいなか、ある時期は大病をしたにもかかわらず、本当に一生懸命に協力してくれたという。繁田氏が小6の夏にガンを患い、入院したのだ。今なら内視鏡手術で切除できる程度のガンだったが、当時は開腹手術を行わなければならなかった。この時期は、妻にいろいろ負担をかけたと思うと父親は振り返る。
中学受験に親のサポートは欠かせない
晴れて開成に合格
晴れて開成に合格したとき、どんな思いだったか。もちろんうれしかったが、安心したという気持ちのほうが強かったという。中学生になったのだから、(子どもの勉強に付き合うのは)もう勘弁してという感じだった(笑)。この先、また高校、大学に向けて気持ちを新たに、といった考えはなかった。でも、子どもの勉強のサポートから解放されたわけではなく、結局、8年もやることになった。今度は妹の受験があったからだ。妹はもういいかなとも思ったが、やっぱり最初からやらせてあげないとかわいそうな気もした。父親は、筑駒(筑波大学附属駒場中学)にも受かったから、親としては授業料が安い筑駒に行ってくれと、ちょっと思ったりもしたという(笑)。それは冗談だが、親父と同じ学校を選んでくれ、息子が後輩になったのは、純粋にうれしかった。もちろんお金の問題は抜きで。このあとは、もう行きたい学校へ行けよ、という心境だった。
親のサポートが欠かせない理由
母親は、中学受験は親のサポートが欠かせないとも思った。なので、共働きだった弟夫婦には、「中学受験はやめておいたほうがいい」とアドバイスもした。一時期、塾へは行かせていたが、子ども任せみたいな感じだったので。そうしたら結局、子どもをイギリス留学させちゃってビックリだったという(笑)。もちろん今はお母様が仕事をしながら頑張っているケースもたくさんある。それは本当に大変なことだと思うが、ぜひ限られた時間でうまく工夫しながら、お子さんをサポートしてあげてほしいと思うという。
受験はコツとテクニック、伴走者が必要
中学受験を控えた親御さんにアドバイスをするならば、父親は、能力差はあったとしても、受験はコツとテクニックだと思うという。ノーベル賞や文化勲章をもらうような天才は別として、受験に天才的な能力は必要ない。やるべきことさえやれば、ある程度の学校は入れるはず。そのために伴走者が必要なのだ。能力がないからと最初からあきらめるのではなく、中学受験がダメだったら次は高校受験、高校受験がダメだったら次は大学受験というように、目標を切り替えていけばいい。試験は水もの。レベルに達していなければ受からないのは当然だが、優秀な子が必ず受かるとも限らない。ふだんの実力は十分にあるのに、本番に弱いというタイプもいる。いかにして本番までに不安を取り除いていくか。そのためにやれることはやっておく、それを妻は必死に実践していたのだろう。そして、仮に受験に失敗したとしても、「試験には落ちてしまったけれど、全然ダメじゃないんだよ。たまたま落ちただけなんだから」といってあげるのも、伴走者としての務めだと思うという。母親も、結局のところ、才能よりも努力だと思うという。少しぐらい才能が足りなくても、最終的には努力した人の勝ち。子どもがやるぞ!と目覚めたときに、努力しやすい環境を作って導くのが母親の役目ではないか。サポートは勉強に関してだけではなく、健康管理も含めて。具体的に何をしていたかは覚えていないが、いつも風邪をひかないようにとは考えていたという。
「賭博事件」にショックを受けた中学時代
学校に呼ばれて知ったショック
開成中学時代を振り返るに当たっては、「賭博事件」に触れないわけにはいかない。事件を知ったとき、どういう心境になったか。とにかくショックのひとことだった。学校に呼ばれて、はじめて知ったのだから。お調子者だけど、決して悪い子じゃない。要領はいいけど、ずるいことはしない。なんでものめり込んでしまうタイプなので、つい賭け事に夢中になってしまったのだろうと——それはいろいろな思いがあった。ただ、よく覚えていないが、そのときはあまり怒らなかったのではないかという。父親は、確かあまり怒らなかったと思うという。まさか「賭博事件」とは思わなかったが、父親にはなんとなく、こうなる予感はあった。というのも、自分自身の経験を振り返ってみても、中高一貫で入った生徒はすっかり安心しちゃって、高1くらいまではだらけてしまうものなのだという。で、高校に上がると、高校から入ってきた人たちが意気込んでいるのを目の当たりにして、ようやく自分も頑張ろうという気になる。だから「あんまりあくどいことはするなよ」と注意した程度で、「そのうち自分でまちがったことをしたと気づくだろう」くらいに考えていた。
勉強は一種のゲーム
でも、ギャンブルにハマっていても成績はよかった。繁田氏にとっての勉強とは、どういう位置づけだったのか。当時は成績も一種のゲームみたいなものだった。やるなら中途半端ではなく、どこまでやれるか試そうかと。とは言いつつも遊びの時間は確保したいので、最も効率のいい方法でやろうと思っていた。賭博事件で校長にさんざんお灸を据えられたあとは、絶対見返してやるーと、いっそう頑張った。結局、賭博事件があった中3のときに、特別優等賞を獲ることができた。ただそこでプツッと緊張の糸が切れ、高校に入ってまったく勉強しなくなり、成績は転がるように落ちていった(笑)。
東大文Ⅰを志した理由
浪人時代の生活と合格
一浪はしたものの、開成高校から見事東大に合格。その頃はどのように息子と向き合っていたか。遊んでばかりいて、ロクに勉強していないのに、1年目の受験は、なんと東大文Ⅰ一本。バカじゃないの!と思った。案の定、不合格だ。浪人中は、今度こそちゃんと勉強しているとばかり思っていた。ところが、あとで雀荘に入り浸っていると知って、えーっという感じだった。もうその頃母親は勉強には関わっていなかったが、あんな生活していてよく合格できたと思う。よっぽど勉強のやり方がうまかったんでしょうという。父親によると、本人は2年目のとき、「文Ⅰじゃ自信がないから文Ⅱにした。ごめん」などといっていたが、文Ⅱであろうと、あんなに遊んでいて合格するとは大したものだと感心したという。
弁護士を目指した理由
現役の時に文Ⅰを受けたのは、弁護士を目指していたからだ。父親の知り合いに弁護士の方がいらっしゃったので、その影響もあったのだろう。小6のとき、テレビ番組の取材を受ける機会があって、確かそこで調子に乗って「弁護士になりたい」といったのかな。親が強制したわけではない。ところが東大在学中に弁護士の適正試験を受けたところ、遊んでばかりいるものだから結果は全然ダメ。あのときはショックを受けて夜行列車に飛び乗り、北海道に行ったようだという(笑)。能力があっても努力しなくてはダメというのは、こういうことなのだ。繁田氏は、今思うと、子どもの頃から、もっといろいろな職業に触れさせてもらえればうれしかったというのは少しあるという。たまたま近くに弁護士がいたから弁護士に憧れたけど、たとえば父の知り合いの証券会社の人のことを詳しく知っていたら、株はゲーム的、ギャンブル的要素があるので自分に合っていそうだし、そういう方面を目指した可能性もある。いろいろな選択肢を示してあげるのは、親の大事な役目のひとつなのかな…と思うという。
回り道の人生でもムダにはならない
在学中の回り道と親の心境
在学中もだいぶ回り道をしていたようだが、いまの心境は。正直な話、母親的にはもっと期待していたのに…という気持ちはある。大学でもまた、パチスロにハマったりして遊び惚けて、情けないなあ、バカみたいだなあって。この子はもっとできるのに、という思いが常にあった。父親は、この子が小学生の頃から、「人生は線路のような一本道ではなく、フェアウェイなんだよ」と教えてきたという。妻にも「この道だけは外しちゃいけないという部分は大事だけど、あまりがんじがらめにするな」と。中学、高校、大学と進むにつれ、フェアウェイの幅が広くなっていくので、それなりにやらせてみようという考えだった。大学時代に頭を金髪に染めているのを見ても、これも今の世の中かと割り切っていて、息子にいったのは「必ず卒業だけはしろよ。4年間しか学費を払わないからな」と、それくらいだったという。
どんなに遠回りしようとムダにはならない
母親は、東大に入ってまでパチスロに明け暮れる息子に対し、バカみたいとあきれていたのは確かだが、同時に「どんなに遠回りしようとムダにはならない」との思いもあった。まあ、そうでも思わないと、やりきれない部分もあったのだが。浪人もパチスロも、まったくムダではないと。そこでいろいろな人と出会うことも、息子の人生にとってプラスになると思うからだという。
今の息子を見て
塾を始めた頃の父親の思い
卒業後は塾の道へ。今の息子、そして将来の息子に対して、どんな期待や思いがあるか。父親は、否定的な言葉から始まるが、塾と健康食品会社というのは、他人の不安な気持ちをくすぐって商売をしているようなイメージがあったことも事実だという。もちろん、ちゃんとした塾や健康食品の会社はたくさんあるから、あくまで個人のイメージなのだが。だから、塾を始めた頃は、手放しで喜んでいたわけではない。ただそういう受験生や親御さんの不安な気持ちにつけ込むような塾ではなく、勉強したいけれどついていけない、この学校に行きたいけれどどうしたらいいか分からない、そんな子どもたちを導くための塾なら立派な仕事。息子の考えどおり、好きにやればいいと思う。今のテスティーはそんな感じの塾のようなので、ひとまず安心しているという。
母親の複雑な思いと応援
母親は、まさか塾を始めるとは、夢にも思っていなかった。できれば違う仕事に就いてほしかったというのはある。サラリーマンも同じなのかもしれないが、夜は遅いし、土日も関係ないし、因果な商売だと。規則正しい仕事なら、からだも楽じゃないかと、母親としては思ってしまうという。繁田氏は、でもね、安定した仕事と言うけれど、今の時代、そんな仕事はないと思うという。自分で会社を興すにしろ、どこかの大企業にしろ、明日傾くかもしれない。だからこそ自分でやるほうが楽しいというのもあると語る。父親は、ただ、今はすごく頑張っていると思うけれど、何もかも自分でやらなきゃというのではダメだという。今は教室も3か所に増えたようなので、自分の代わりになる人間、仕事を任せられる人間を育てなければ、自分自身、今より大きく成長できない。もちろん自ら教壇に立つのも大事だが。どんなに汗水流して働いても、自分の娘と一緒にゆっくり食事もできない、遊園地や動物園にも連れて行ってあげられない、そんな生活が正しいでしょうか。ときには自分を一歩引いた場所から見ることがあってもいいと思うという。ともあれ、大手に匹敵するような塾にまでしなくてもいいので、息子を信じてくれている方々の期待に応えるために、自分が理想とする塾を目指してほしいと思う。母親は、本人がこの仕事をやりたい、この仕事しかないと思っているのであれば、私としては応援するだけだという。いいことも悪いことも経験し、受験生や親御さんの気持ちはよく理解しているでしょうから、いい塾を作れると思っている。
母親力は「基本調味料」、父親力は「スパイス」
受験で子どもを守る「母親力」の本質
長々と繁田氏の両親の話にお付き合いいただいたが、何か参考になるようなことはあっただろうか。総括すると、受験で子どもを守る「母親力」とは、実にシンプルなもので、要は「愛情」と「信頼」だと思う。あとは、母親も触れていたが、ここぞという場面における父親の存在も欠かせない。繁田氏は、「母親力」と「父親力」の違いを、母親力が「基本調味料」、父親力は「スパイス」とたとえている。中学受験であれば、小学生は幼いこともあり、母親のマメな関わりがとりわけ重要だ。専業主婦ならもちろん、共働きでも通常は母親の方が平日子どもと関われる時間は多いはずだからである。つまり、勉強の進捗管理や情報収集など基本的なことは母親がやるのがよいと思われる。
父親の出番とその役割
しかしながら厳しい受験勉強なので、どこかでくじけそうになることもあるだろう。そんなときは父親の出番だ。どんと構えて子どもと母親の不安を受け止める。安心して前向きな気持ちになれるような助言をする。これが理想的である。これから受験に挑むみなさん、どうか家族一丸となって、目標の実現に向け頑張ってほしい。家族が同じ方向を見ることができたなら、受験の結果に関わらず、大きな「財産」が残るはずだ。
まとめ
第5章では、繁田氏の両親が登場し、幼少時代のアメリカ生活、帰国後の中学受験、賭博事件、東大受験、そして今の塾講師としての仕事まで、親の視点から振り返った。母親は日々の復習管理、まちがえた問題の確認作業、健康管理を担い、父親は算数の指導、朝食の時間、送り迎え、そしてストレスの聞き役として間接的にサポートした。受験で子どもを守る母親力の本質は「愛情」と「信頼」に尽きる。母親力は「基本調味料」として日々のマメな関わりを担い、父親力は「スパイス」としてここぞという場面で子どもと母親の不安を受け止め、前向きな助言をする。家族が同じ方向を見ることができたなら、受験の結果に関わらず、大きな「財産」が残る。これが繁田家の中学受験から学ぶ、理想的な家族の在り方である。