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東大生だけが知っている! 超短期勉強術 CHAPTER 4 事例研究 無名校でも東大ブランドに手が届く

東大合格ランキングの上位に名を連ねる高校は、例年ほぼ同じ顔ぶれ。しかし、進学実績のない無名校に入ったからといって、あきらめるのは早計だ。本章では、進学実績がほぼ無名に近い学校から東大合格を勝ち取った3人の体験談を紹介する。広島の私立崇徳高校で120年の歴史で初の東大現役合格を果たしたH.Sさん、高校受験で失敗し二次募集で入った私立昌平高校から東大合格を果たしたK.Mさん、フェンシング優先で偏差値46の愛媛県立三島高校に進学したH.Kさん。彼らがいかにして情報格差を埋め、戦略的に勉強し、東大合格を手にしたのか、そのプロセスを詳しく見ていく。

この章の目次

H.Sさん:独学には独学の勝利の法則がある

H.Sさんは、創立120周年を誇る広島の私立崇徳高校で、一人もなしえなかった東大現役合格を果たした。バレーボールや野球では全国的に有名だが、進学実績ではほぼ無名に近い存在。地元の広島大には例年数人が合格するものの、京大、阪大をはじめとする難関国公立大への進学実績はほとんどない。そんな環境から、どのようにして東大合格を勝ち取ったのか。

おだてられ気づけば東大一直線

雲の上の存在だった東大をめざそうと思ったきっかけは、担任の先生のある一言だった。田舎の公立中学校から崇徳高校に入学した当初、この都会のマンモス校はまぶしく輝いて見えた。特待生として入学したにもかかわらず、完全にビビッていた。ところが最初のテストが終わってビックリ。自分がまさかの1位だった。初めて受けた模試でも九大にA判定がつくというまさかの結果。その後、最初の三者面談があり、そこで担任の先生から「東大、めざしてみれば?」という一言が出た。言われるまでは考えてもいなかったことだった。完全におだてに乗り、気づいたら「東大」という2文字が頭から離れなくなっていた。

ひまつぶしで始まった自習習慣

運良く父の勤務先が学校の近くだったので、父の車で登下校。朝8時前に車で学校に着き、帰りは6時半ごろ父が迎えに来る。そのためには7限目が終わる4時半から2時間、学校でヒマをつぶさなくてはいけない。部活には入っていなかったので、好むと好まざるとにかかわらず勉強するしかない。こうして高1から放課後に自習する習慣がついたのは、合格への大きな土台になった。

目からウロコ本との出合い

高1のときは授業で与えられるものを一生懸命にやり、とにかくたくさん勉強すればいいと単純に思っていた。要するに勉強法については何も考えていなかった。周りに東大を受ける仲間がいない、情報も入ってこないという受験生の、ここが恐ろしいところだ。ところが高2になる少し前、友だちから薦められて読んだ本に衝撃を受けた。和田秀樹さんの『受験は要領』という本だ。受験は要領、必要なことだけをいかに効率良く憶えるかだというのが和田さんの考え。受験勉強は基礎からコツコツ積み上げていくものだと信じて疑わなかった自分の世界観は、見事に打ち砕かれた。それからは和田さんの他の著書を次々と読みまくり、和田式受験勉強法を体得していった。

すごいぞ「2ちゃんねる」!

参考書選びではインターネットを活用した。中学の頃からネットゲームにはまっていたお陰で情報検索は得意中の得意。とくに利用したのは「2ちゃんねる」の掲示板だ。当時は2ちゃんから受験情報を得るのがはやっていて、どの参考書がいいかはすべてここから情報を仕入れた。例えば英語の文法ならこれ、英単語ならこれとランキングが出ていて、使ってみるとさすがに上位に挙がるだけのことはある。大学に入学してから開成からきた学生に「おまえ、高校のときどんな参考書を使ってた?」と聞いたことがある。どれも上位にランキングされているものばかり。さすが2ちゃん。情報レベルとしては十分キャッチアップできていたんだなと、あらためて見直した。

先生に頼んで先取り学習

学校の先生にもお世話になった。とくに数学のA先生にはずいぶんサポートしていただいた。高校の数学は進学校なら先取りして習うが、普通は高3の夏に数ⅢCを習う。しかしこれでは理系の受験に間に合わない。そこでA先生に理系志望者数人でお願いして、高2の夏から数ⅢCを授業時間外に教えてもらうことにした。お陰で高3の初めには高校で習う内容をすべて終えることができた。それ以外にもA先生は個別のプリント対策や過去問対策など、休日や夜遅い時間でも快く付き合ってくださった。

K.Mさん:高校受験の挫折を乗り越え、コツコツ型学習で栄冠をつかむ

K.Mさんは、高校受験であわや浪人という大ピンチを経験した。安全圏だと思っていた第二志望の県立高校に、まさかの不合格。すでに第一志望だった東京藝術大学附属の音楽高等学校も不合格という結果が出ていた。合格発表の掲示板の前でひとり立ちすくんでしまったが、中学の先生のアドバイスで二次募集をしている私立昌平高等学校に進学。そこから東大合格への道が始まった。

ピアノ教師をめざして音楽一筋の毎日

それまでのK.Mさんにとって、とにかく本命は音楽の道。ピアノの指導者になりたくて、幼稚園時代から音楽一筋の毎日を送っていた。音楽の道は、普通の進学とはまた違う厳しさがある。一日5〜6時間、ピアノの前に座りっぱなしというのは当たり前、受験直前は学校を休んでまでピアノのレッスンに通っていた。それほど厳しい道だから、当然、家で勉強する時間はほとんどない。それでも中2くらいまでは学年の上位に入れていたので、心のどこかに「自分はやらなくてもそこそこできる」という過信が生まれていた。そして、その油断に足をすくわれたというわけだ。

「私、東大にチャレンジします!」

想定外の高校への進学に、「なんで私はここにいるんだろう」と、悔しさをかみしめた。トップ校に入学した友人たちに対する恥ずかしさ、引け目もあった。しばらくは鬱々とした気分で通学していたが、最初の学内テストで学年3位をとったあたりから、少し気持ちが変わってきた。「もっとがんばれば学年で1位になれるかも」。いつまでも悔しさや劣等感に浸っているより、その気持ちを勉強にぶつけて成績を上げていくほうが有意義だと思い始めた。やがて、高2の学年末には、学校の三者面談で先生から「このままがんばれば、東大合格も夢ではないよ」と言ってもらえるまでになった。そして、高2の夏のピアノのコンクールで、かんばしい結果が出せなかった。そのとき、ふと心に浮かんだのが、「東大を受けてみれば?」という先生の言葉。自分自身に、親に、学校の先生に、そしてピアノの先生に宣言した。

早朝3時起きで平日6時間勉強

東大という目標が明確になれば、勉強に対する姿勢もがぜん変わってくる。高2の夏休み後半は、一日8時間勉強した。すると、夏休み直後の模試では偏差値がなんと100ポイントもアップ。これには自分自身びっくりだった。その後も、平日は一日6時間の勉強を心がけた。どうやって時間を捻出したかというと、早朝3時に起きて、3時間勉強するのだ。そして、学校から帰宅後、午後7時から3時間。元気な朝は頭を使う数学などをやり、疲れが出てくる夜は英単語などの暗記物を中心にやっていた。

復習中心主義で知識の定着を図る

K.Mさんは、高1の段階では、まだ音楽大学への合格をめざしてピアノの練習を続けていたから、そんなに勉強時間は取れない。一日にせいぜい1時間程度だ。そこで、予習はしないで授業に集中して取り組み、復習をがんばることにした。問題集や参考書も、数学の『チャート式』以外はあまり手を広げず、学校で配られた教材をしっかりやりこむように心がけた。その勉強方法が実を結び、定期テストではほぼ毎回、学年トップを維持できるようになった。不思議なもので、いい成績が取れると勉強がおもしろくなり、ますます集中してがんばれるようになる。

H.Kさん:地方では優等生、全国では劣等生

H.Kさんは、「フェンシングができるなら、高校はどこだっていい」と、大学進学のことはまったく考えずに、高校を選択した。小1からフェンシングを始め、中学時代には、全国大会に出場。そして、フェンシング同好会のある愛媛県立三島高校に進学を決めた。中学の成績では、県内1、2位の進学校に進むこともできたが、選んだ高校は、偏差値46でまったくフツーの高校だった。

部活中心の生活、勉強は後回し

三島高校のフェンシング同好会は、H.Kさんが入学した当初は設立間もなく、メンバーが5人しかいなかった。制度は整っていないし、フェンシングを専門とするコーチもいない。練習メニューも自分たちで作るという、まさに手探り状態だった。16時に授業が終わったら、すぐにフェンシングの部室へ向かう。それから、10時までミッチリ練習をする。土・日にも練習をしていたので、ほぼ毎日のようにフェンシングに打ち込んでいた。そうなると、必然的に勉強は後回しになっていく。初回の試験では5番の成績。進研模試では偏差値70を記録し、京都大学にC判定が出ていたものの、毎日の練習に全力投球していたため、勉強に身が入らず、途中で寝てしまうことが多かった。じわりじわりと成績が下がっていった。

高2の夏、勉強に専念することを決意

高2になって、フェンシング部に後輩が入ってきた。その中に、全国大会優勝の女の子がいた。小さい頃からフェンシングをやっているとはいえ、H.Kさんの最高成績はせいぜいインターハイベスト32。にもかかわらず、彼女は全国レベルの練習を理不尽なほどに要求してくる。部内の雰囲気のあまりの変わりように、「なんだよ、これ」「こんな練習、やってられないよな」と思うようになり、次第にフェンシングへの意識が薄れていった。なかでも決定的だったのは、その全国優勝経験のある後輩の圧力がすごかったこと。圧迫感があまりにもキツく、途中でキャプテンの座を降りざるを得なかった。この頃、学校の成績がさらに落ちて、授業中に先生からボロクソに言われたこともあり、精神的にも病んでいた。部活に幻滅し、高2の夏に部活をやめ、勉強に専念することにした。

東大受験に関する情報収集からスタート

「東大に行きたい」。部活をやめたからには、何かでその空白を穴埋めしたい。そんな思いで、東大受験を宣言した。ただ、偏差値46の三島高校の卒業生には、東大合格者は数人いる程度。学校に東大向けの指導ノウハウなんてない。助けとなったのが『東大文Ⅰ
2006』のような受験本だ。3、4冊買って、ひたすら読み込んだ。これらの本には、東大に合格するための勉強法が経験ベースで書かれていて、貴重な情報源となった。ネットでは「東大生ブログランキング」が役に立った。多くの現役東大生の合格プロセスやリアルな学生生活に触れるきっかけになり、ランキングを見ては、合格後の生活を思い描いていた。

井の中の蛙? 厳しい現実

高3になって初回の駿台模試。「難関校の生徒も受ける模試、果たして……?」ドキドキしながら成績表を開けてみれば、東大文ⅡがD判定という結果。夏の東大模試では、数学2点、英語15点、世界史0点、日本史6点という惨憺たる点数だった。「全国レベルの問題に歯が立たない。ヤバい」。わかってはいたものの、厳しい現実を目の当たりにして愕然とし、焦りが募った。周囲に東大をめざす生徒がいない孤独感には耐え難いものがあった。「8月まではとにかく基礎を固めよう。応用はそのあとでいい」。焦りを感じながらも、半ば浪人を覚悟しつつ、毎朝の日課である世界史の勉強を続けながら、基礎をコツコツと積み上げていくことにした。

40年ぶりの文Ⅰ合格者

合格通知が届いたとき、とにかく信じられなかった。合格最低点とはわずか2点差。まさに滑り込みセーフだった。「10年ぶりの東大合格!しかも文Ⅰは40年ぶりだぞ!」。いまだに、なぜ自分が東大に受かったのか、よくわからない。ただ、やる気はあって、つねに勉強のことを意識していたことが大きかったのではないかと思う。受験直前まで部活をする人は、いくら部活が忙しくても、普段から少しでも勉強を続けておくことが大切だ。たとえ短時間でも、効率が悪いとわかっていても、勉強をする意識を持ち続けてほしい。

まとめ

3人の東大生の体験談から見えてくるのは、無名校や進学実績のない高校からでも、情報収集と戦略的な勉強で東大合格は十分に可能だということだ。H.Sさんは和田秀樹さんの著書と2ちゃんねるで情報を集め、効率的な勉強法を実践した。K.Mさんは高校受験の失敗を原動力に、復習中心主義で知識を定着させ、早朝3時起きで勉強時間を確保した。H.Kさんは受験本やブログで情報を集め、基礎固めを徹底した。共通するのは、地域格差や情報格差を自らの努力で埋め、自分に合った勉強法を見つけたこと。そして、周囲の冷ややかな反応にも負けず、東大合格という目標を貫いたチャレンジ精神だ。保護者にとって、この章の学びは、子どもの可能性を信じ、情報収集の重要性を認識し、適切なサポートをすることの大切さを示している。

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