受験という通過儀礼
こんにちは。
西永福校のあまがたです。
暖かい日も増えてきて、そろそろ春の訪れを感じます。
もう少し暖かくなるといよいよ新年度ですね。
本当に時間の流れが早く感じます。
オソロシヤ。
そして我々は今年度の受験を考えていかなければならない訳です。
終わりがありません…輪廻か。
そうなんです。
我々は毎年のように受験があるように思ってしまうのですが、受験生たちにとって受験は一回勝負です。
今年泣いた人も笑った人も、一回勝負という価値が身に染みていることだと思います。
こう言ったら語弊があるかもしれませんが、私は受験を「通過儀礼」だと思っています。
合否という結果も重要かもしれませんが、受験を通して何を学んだかが重要だと思います。
受験はつらいです。
試験前も不安しかないですし、試験後もどこか地に足がつかず、ふわふわして集中できません。次の試験に向けて頑張らなくてはいけないのに、です。つらいと思います。
不合格の結果が出たら、自分の今までを否定されたように感じます。
これを自分ひとりで受け止めて、それでも前を向かなければいけません。
誰も助けてはくれません。というか助けられません。自分で這い上がるしかないんです。
ちゃんとそこで前を向けるかどうかが、今後の人生にとってとても重要なことです。
妥協とか諦めとかは簡単です。
やらない、できない理由なんていくらでも作れますから。
そんな風に選択してしまったら明るい未来は描けないです。
前を向くということは、自分で選択をしてそれに対して責任を持つということです。
正しい選択、後悔しない選択、なんてものは嘘だと思います。
その選択が正しかったかどうかは、後の行動によって決定されるからです。
その後の行動によって以前の選択の価値が変動するわけです。
開成に受かったところで6年間なにもしなかったら、あの時開成に行くという選択が正しかったとは言いづらいですからね。
僕自身、第一志望に受かってません。
浪人もしたんですが、自宅浪人でした。宅浪ってやつですね。
予備校も行かず、自分ひとりで勉強していました。
当然計画らしい計画を立てることも出来ず、目の前のやるべきことをただひたすらこなす毎日でした。
誰とも喋らず、特に遊ぶこともせず、ただ毎日ひたすら勉強していました。
その時のモチベーションは何?と言われても、良く分かりませんね。
勉強自体が目的化していたかもしれません。
辛かったんですけど、何かを知ることが楽しかった記憶があります。
だからかもしれませんが、第一志望の早稲田文学部が不合格だった時は引きずることはなかったです。これで無理なら仕方ないという具合で、さっぱりしたもんでした。
これ以上何を勉強したら良いのかももう自分にはわかりませんでしたし、本当に自分一人の力だけで試したかったので、今更誰かの力を借りる気もありませんでした。
自分だけの力の限界を悟った瞬間だったのかもしれません(笑)。
こうして前向きに明治大学に行くことを選択します。
元々偏差値40ちょっとの子だったので、肉薄した(実際は知りませんけど)ことだけで十分でした。
これによって、勉強の本質をある程度理解できましたし、それが高じて大学院まで行くことになります。
あの時の選択は合ってたのか間違ってたのかそれは未だに分かりませんが、今のところ後悔はありません。
高校の時にもうちょっとちゃんと勉強しておけば良かったなーという後悔はありますが(笑)
ただ、浪人の時に特に計画を立てることをせず目の前の勉強をしていたからか、計画を立てることがずっと苦手でした。
社会人になってからようやくまともになってきた気がしますね。
これも計画化という通過儀礼を無視してきた結果です。
本当に、受験はあらゆることが試されていると思います。
論理、応用、計画、精神力、実行力…etc
そういう意味で受験は通過儀礼的です。
ゆくゆく必ず必要な能力を今試されているという意味で。
知識だけを試されているのではないんです。
一番大事なことは逃げないことです。
やらない理由、出来ない理由を自ら作り出して、戦わないことが最も愚かです。
全力で立ち向かうこと、それだけを意識していれば後悔は無いでしょう!
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