久我山校ブログ

国語の成績と読書との関係

皆さんこんにちは、個別指導塾テスティー久我山校の平澤です。

日本シリーズも広島が連勝で勢いに乗っており、カープ男子の宮下先生も満面の笑みを浮かべて仕事しております。

ただ最大11.5ゲーム差を見事引っくり返した日本ハムもこのままで終わる訳がない気もします。

セ・リーグファンとしてはこのまま優勝して欲しいですが・・・・

 

 

 

さて、先日あるお母様と話をしていた所、

『うちの子は、読書が大好きで本ばかり読んでいるけど、国語の成績は非常に良くない』という相談を受けました。

子供の頃から読書をすることで

① 語彙力の向上 

② 集中力の向上 

③ 想像力(感受性)の向上 

④ 論理的思考力の向上

 

等々上記以外にも様々な効用が期待できます。

子供の内から読書をたくさんさせるべきかと聞かれれば、間違いなくYESだと思います。

 

ただ、読書が大好きなのに国語の成績が、芳しくない子がいるのは何故なのか?

 

 

太宰治の「お伽草子』の「カチカチ山」の中で

作者太宰は、五歳の娘の「狸さん、可哀想ね。」という意外な感想に端を発し「兎の仕打がひどすぎる、この兎の懲罰は所謂やりかたが汚い」という疑念を抱いています。

 

 

また同じく「浦島さん」の中にも以下の記述があります。

私たちは、浦島の三百歳が、浦島にとって不幸であったという先入感に依って誤られて来たのである。

絵本にも、浦島は三百歳になって、それから、「実に、悲惨な身の上になったものさ。気の毒だ。」などというような事は書かれていない。

 

タチマチ シラガノ オヂイサン

 

それでおしまいである。気の毒だ、馬鹿だ、などというのは、私たち俗人の勝手な盲断に過ぎない。

三百歳になったのは、浦島にとって、決して不幸ではなかったのだ。

(中略)

 年月は、人間の救いである。忘却は、人間の救いである。

(中略)

しかも、その三百年の招来をさえ、浦島自身の気分にゆだねた。

ここに到っても、浦島は、乙姫から無限の許可を得ていたのである。

淋しくなかったら、浦島は、貝殻をあけて見るような事はしないだろう。

どう仕様も無く、この貝殻一つに救いを求めた時には、あけるかも知れない。

あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよそう。

日本のお伽噺には、このような深い慈悲がある。

浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたという。

 

(※貝殻=玉手箱だと思って下さい。)

 

世間一般では、カチカチ山は、勧善懲悪で「ウサギ=善、狸=悪」というのが通説だと思います。

又、浦島太郎についても、玉手箱をあけて見ると中から白い煙が立ち昇り、たちまち白髪のお爺さんになってしまい、「だから開けなきゃ良かったのに、つまらない事になった、お気の毒に」などというところでおしまいになり、乙姫様との約束を違えた浦島太郎は自業自得である、というのが通説だと思います。

 

読書に於いては、太宰的な読み方はOKであり、創造力を膨らませる良い機会かと思います。

但し、国語のテストで一般的な浦島太郎や、カチカチ山が文章で出てきた時、その作者が

カチカチ山=「ウサギ=善、狸=悪」

浦島太郎 =だから開けなきゃ良かったのに、つまらない事になった、お気の毒に

としていた場合には、太宰的な考え方は、NGになってしまいます。

極端な話ですが、ある説明文で作者が、『カラスは白である。』と主張している場合には、一般的な概念、自分の考えは抜きにして『カラスは黒ではなく白である。』ということが答えとなります。

 

特に国語の試験に於いては、自分の考え(主観)は一度抜きにして、正確に書かれている内容を読み取る事が非常に重要になります。

 

文章を正確に読み取る力と、想像力豊かに読む力はどちらも同じくらい重要な能力です。

ただ、低学年においては、まずは『て・に・を・は』等をしっかり注意して読んでいき、まずは内容把握に主眼を置き(自分で違う物語を創作するのではなく)きちんと文章を読み取りその上で、想像力を養っていくのが特に重要かと思います。

 

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