【TESTEA(テスティー)自由が丘校】悔しいのか?それとも悲しいのか?
TESTEA自由が丘校(兼 みなとみらい校)教室長の中島です。 連日の蒸し暑さ、厳しいですよね。
さて、本日のタイトルですが、勉強においてこの違いはかなり大きいということです。
私は、試験結果が悪かった生徒に対して、どういう気持ちかとたずねました。その時「悔しいです」という答えが返ってきたことが多くあります。 そのときその生徒の様子を見て、「それは悔しいではなくて、単に悲しいだけではないか?」と聞き返すことがあります。 それは「明らかに悔しがっているようには見えなかった。」からです。
では、「悔しがっている態度」とはどういうものなのでしょうか。
私としては、「目を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな表情。そして『これだけやったのに!』という気持ちが抑えられないくらいの熱い状態」ではないかと思います。 もちろん、悔しさの表現方法は人それぞれだと思います。しかし、悔しさには、表面上であれ、内に秘めたるものであれ、いずれにしても「熱さ」が必ずあると私は思います。
なので、淡々と「悔しいです」と言われても、そのとき瞳の奥に熱い炎が見えなかったとしたら、それは悔しさではなく単なる「悲しさ」なのではないかと思うのです。 それは、単に「結果」が出なかったことに対する落胆の気持ちです。そういうひとにとっては、「過程」などはどうでもいいのです。 本当の悔しさとは、その人間が歩んだ「過程」。そしてその先として期待される「結果」との隔たりの大きさだと、私は思います。
「悲しみ」は時間が経てば、程よく忘れると同時に、また新たな「悲しみ」をもたらすことでしょう。
「悔しさ」は時間が経過すればするほど、その想いは強くなっていき、その次の「喜び」につながる一歩となることでしょう。 だから、お子さんには節目節目で全力で取り組んでほしいものですね。「これだけやれば、もう悔いはない」というところまで!